実践版 三国志《劉備編》

三国志の登場人物で、一番の出世頭といえば誰でしょうか?

私の意見でいうならば、劉備だと思います。

幼い頃に父親を亡くし、母親との貧しい少年時代をおくります。

しかし、40代で「蜀」という国の皇帝になりました。

わらじ売りの少年から、一国のトップ。これ以上の出世があるでしょうか?

 

なぜ、そんなに出世できたのか?

1、少年期からの学び

2、人との出会い

3、方向転

この3つの要素があったからだと思います。

 

1、少年期からの学び

劉備が愛用していたのは六韜(りくとう)」という兵法書でした。

六韜では、戦争のやり方だけではなく、

国の治め方や、戦わずして勝つ方法、人心の掴み方も詳しく記されています。

そうした書物を少年期から何度も読み返し、実践した事で出世への基盤をつくれました。

 

劉備は、若い頃から口数が少なく感情をあまり出さない人柄でした。

でも、相手をよく立てて義理に熱く、相手の話をよく聴き、求めている事を共感できる人であったようです。

 

このような人格が、六韜の教えを実践していた結果なら凄いことですね。

 

そうした人格のお陰で評判の青年になり、地元の豪商から資金援助を受け、旗揚げするための足掛かりができたようです。

 

2、人との出会い

劉備が出会った人というと、義兄弟の「関羽」「張飛」が一番に思い浮かぶのではないでしょうか。

それ以外にも、趙雲馬超孔明など、あげだしたらキリがないくらい数々の有名な部下がいました。

でも、ここでは部下の話ではなく劉備食客として迎えていた君主達について話します。

食客」とは、中国の戦国時代によくあった関係です。

才能ある人を君主が客として養うことで、養なってもらう代わりに君主を助けるという風習です。

劉備は、20代で挙兵してから40代になるまで数々の君主達に食客として招かれていました。

なかでも「曹操」や「陶謙」からは絶大な信頼を勝ち取ります。

曹操は、当時の皇帝に謁見するときには劉備と共に行ったり、車を出すときには同じ車に乗り、席につく時には同格の席を用意したりしました。

陶謙からは、自分の後継者を劉備に譲りました。

 

どうして数々の君主たちから優遇されたのでしょうか?

それは、六韜の教えを実践していたからです。

謙虚な態度で相手にへりくだり、何事にも逆らわず頼りになる味方だと思わせる。という行動を徹底したのです。

 

そして、身の危険を感じたり、「この場所にいても芽がでない」と感じたら迷わずその場から離れました。

 

このような事を繰り返し、敵を作ることを極力さけ、控え目な徳のある人物になりました。

 

3、方向転換

劉備は、兵法家としての才能もあったといわれています。

 

しかし、勝ちにこだわる事はせずに敵前逃亡することもありました。

逃亡といってもただ逃げるのではなく、誰を頼ればいいか分かっていました。

戦国時代では逃亡先で捕まり、敵に差し出されるなんて事も珍しくはありませんでした。

そして、旧敵であっても同盟を結ぶことで強敵からの進攻をしのいだりもしました。

 

現代においても、有効ではないでしょうか?

・勝ちにこだわらず、リスクから早期離脱の徹底。

・「敵の敵は、自分の味方」という考え。

・目立っている時には、別の人を目立たせる事で「出る杭は、自分だけではない」という状況を作る事。

 

一般人の人間関係から、会社内での立ち回り、ビジネスシーンなど、私たちも学べる事が多いですね。

 

また、劉備の大きな点観点といえば「諸葛亮」を軍師に迎え入れた事です。

劉備は3度目にして、ようやく諸葛亮を仲間にすることができました。

 

どうして劉備は2度も断られたのにもう1度行く気になったのでしょうか?

他からの推薦もあったのでしょうが、私はそれだけではなかったと思います。

というのも、40代半ばになっても客食生活をしていた劉備は考えたはずです。

 

40代といえば当時では高年齢層だったでしょう。

志は高くても結果を出せていない現状。

助けてくれる家臣達に報いてあげられない現実。

どうすればいいのだろうか?と。

 

何が足りなくて、何か間違っているのか、考えたはずです。

六韜を学び、知略には自信があったのかもしれません。

多くの苦難を乗り越えてこれた自信があったのかもしれません。

 

現実と理想のギャップのなかで、新しいイノベーションを取り入れようとしたのではないでしょうか。

そこで、諸葛亮という人をなにがなんでも登用したいと考えたと思います。

 

自分が得意だと感じている分野には、新しい考えを探さないものです。

失敗をしていないなら、そもそも何かを改善しようとは思わないのはないでしょうか?

何かを失敗したから改善するのではなく、思い描いた自分でないなら、改善していくべきなのです。

 

3度目にして諸葛亮を仲間にすることができました。

そして、誰も考えもしなかった「天下三分の計」という作戦をさずかりました。

 

誰も考えもしなかった事を、実現する行動力があったからこそ、一国のトップになれたのではないでしょうか。

 

《まとめ》

夢を描く→学ぶ→実践する→振り返る→最善策を考える→行動する。

当たり前に思える事が、成功者への道ですね。

一番大切なのは、なりたい自分を考えるということではないでしょうか。

そして執念ですね。

不自由ない生活にうもれず、夢に向かって進み続けたいものです。

 

以上、最後まで読んでいただきありがとうございました。